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問われる

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Tsuchiyama, Forest Road, Sekino Jun’ichiro, The Art Institute of Chicago

林業は「自然」に対して人の手を入れるものだが、手を尽くしたとしても、必ずしも100パーセント当初の狙い通りに育つものではない。矢印を論理的な意味合い(「Xがタバコを吸うなら、Xは心臓病になる」)ではなく、条件付き確率(Xがタバコを吸う場合に心臓病になる確率は、Xがタバコを吸わない場合に心臓病になる確率よりも高い」)と解釈し、各事象ノードをオンかオフではなく事前確率を反映した確率と解釈すれば、「因果ベイジアンネットワーク」になる、とされる。

ハーバード大学教授スティーブン・ピンカー著「人はどこまで合理的か」(草思社)によれば、矢印を論理的な意味合い(「Xがタバコを吸うなら、Xは心臓病になる」)ではなく、条件付き確率(Xがタバコを吸う場合に心臓病になる確率は、Xがタバコを吸わない場合に心臓病になる確率よりも高い」)と解釈し、各事象ノードをオンかオフではなく事前確率を反映した確率と解釈すれば、「因果ベイジアンネットワーク」になる。ベイジアンネットワークを発明したコンピューター科学者のジューディア・パールによれば、このネットワークは3つの単純なパターンで構成されている。「チェーン」、「フォーク」、「コライダー」の3つだ。チェーン(A→B→C)の場合、第1原因であるAは最終的効果であるCとは隔てられていて、Bを介してのみ影響を与え得る。フォーク(B→A, B→C)の場合、真の原因を誤認させる危険性を孕んだ交絡ないし随伴現象を表している。コライダー(A→B, C→B)は、無関係の複数の原因が一つの効果に収束する。コライダーの罠は、ある効果だけに着目すると、複数ある原因の間に実際にはない負の相関を読み取ってしまうという点にある。これは原因同士が補完関係にあるからだ、という。

「条件付き確率」のその確率が100パーセントである場合が、矢印が論理的な意味合いと同じになる、と言える。自然の条件下では、100パーセントになることは稀だろう。そのうえで、事象同士の関係は、「チェーン」、「フォーク」、「コライダー」の3つにまとめられる、とされる。たとえば、「チェーン」の事例を考えてみると、10月7日のハマスによるイスラエル攻撃実行の阻止にイスラエル軍が失敗したのは、想定していたチェーンがつながらなかったからだ、と言える。まず、(A)ハマスは実際にイスラエルを組織的に攻撃すべく計画し、訓練もしていた。(B)イスラエルの情報機関の現場は、その情報を1年以上前に把握し、攻撃地点や攻撃法を含めた詳細な警戒情報を上にあげていた。しかし、(C)情報機関の上部は、ハマスにはそういうことをしたいという願望はあっても、それを実行するだけの能力はないと思い込んだのか、何らの対策も取らなかった、らしい。イスラエルの情報機関が早期に責任を認めたというのは、そういう事情があったからのようだ。イスラエル政府の首脳が警戒情報を受け取っていたのかどうかは今のところ不明だ。だが、受け取っていようといなかろうと、政府の責任が厳しく問われることになるのは間違いないだろう。万一、暴力的なハマスはある程度泳がせておいた方が、2国家樹立を迫られることが遠のくと思って、ネタニヤフが敢えて意図的に放っておいたとすれば、それは彼にとって致命的なミスだったということになるだろう。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

多すぎて

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The Vampire II, Edvard Munch, The Art Institute of Chicago

吸血鬼は日差しが苦手だとされ、ニワトリは日の出を歓迎するとされる。雄鶏はいつも夜明け前に鳴くが、雄鶏が太陽を昇らせているとは誰も思わない。これは「随伴現象」であって、事象に随伴しているが、事象の原因でない、とされる。

ハーバード大学教授スティーブン・ピンカー著「人はどこまで合理的か」(草思社)によれば、雄鶏はいつも夜明け前に鳴くが、雄鶏が太陽を昇らせているとは誰も思わない。これは「随伴現象」であって、事象に随伴しているが、事象の原因でない。随伴現象は「交絡」とも呼ばれ、まさに疫学者泣かせの現象だ。たとえばコーヒー愛飲者に心臓発作が多いことから、コーヒーは長年心臓病の原因とされてきた。しかしその後、コーヒーをよく飲む人はタバコもよく吸い、運動不足の傾向も見られることが分かった。つまりコーヒーは随伴現象でしかなかった。因果関係のパラドックスを理解するには、原因が一つしかない事象などないと認めるしかない。原因は多数あり、それぞれがきっかけを作ったり、何かを有効にしたり、抑制したり、互いに力を増幅し合ったりしながら次々とつながり、あるいは分岐して、ネットワークを形成している。そして事象はそのネットワークのなかに埋め込まれていると考えればいい、という。

さまざまな事象が同時に存在し、それらが互いに影響し合い、あるいは無関係に存在し合う世界にあっては、ただ一つの原因がただ一つの結果を生み出すというのは寧ろ極めて稀なことだと思われる。つまり、ほとんどの事象はネットワークの中にある。さらに、科学が進んだ現代においても、ある事象が別の事象の原因の一つなのか、あるいは、たまたま同時に発生することがある、単なる随伴現象なのかを見極めることが容易でない場合もある。あるいは、原因が複数ある場合も存在する。岸田内閣支持率が11月時点で政権発足後最低水準にまで低下したのは、何が原因なのか?国の財政がすでに巨額の赤字を抱えており、その解消のめどが立たない状況下で選挙目当ての減税をしようという無責任さなのか、核兵器禁止条約第2回締約国会議にオブザーバーとしても参加しないという平和に対する消極的姿勢か、北朝鮮による拉致被害者の救出に何の成果もあげられない力のなさか、政権維持のために主流派閥への忖度で三流の国会議員を副大臣等に複数任命するという政権基盤の弱体さか、政治資金の調達について、外部から分からなければ何をやってもいいだろうという杜撰さか、2世や3世等の政治家に見られる政治を国民のためでなく自分の生活のための商売にしているような家が政権内に多すぎることか、「丁寧」とか「連携」という言葉を「あー」や「えー」のような無意味な言語音にしてしまった言葉の貧弱さか、等々。原因の可能性のあるものが、あまりに多すぎて絞り込むことも困難だ。

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表れ

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The Bright Aspect, Paul Klee, The Art Institute of Chicago

素晴らしい歓喜の瞬間というようなものが、普通の人に訪れることは稀だ。少し幸運なときがあれば、少し不運なときもあって、人生のほとんどは平々凡々とした瞬間の連続だ。もともと「回帰」という言葉は、相関に付随する固有の現象である「平均への回帰」を意味していた。平均への回帰は純粋に統計学的な現象であり、釣鐘形の分布では値が極端なものになればなるほど出現しにくいという事実から生じる結果だ、される。

ハーバード大学教授スティーブン・ピンカー著「人はどこまで合理的か」(草思社)によれば、もともと回帰という言葉は、相関に付随する固有の減少である「平均への回帰」を意味していた。フランシス・ゴルトンは、親子の身長の関係、すなわち子供の身長と両親の身長(夫婦の平均値)をプロットしてみて、次の点に気づいた。「両親の身長の平均値がサンプルの中で高い方にある場合、その子供の身長は両親よりも低くなる傾向にある。逆に両親の身長の平均値がサンプルの中で低い方にある場合、その子供の身長は両親よりも高くなる傾向にある」。平均への回帰は純粋に統計学的な現象であり、釣鐘形の分布では値が極端なものになればなるほど出現しにくいという事実から生じる結果だ。スポーツファンは、なぜ新人王は2年目にスランプに陥るのかとか、なぜ『スポーツ・イラストレイテッド』誌の表紙を飾った選手はジンクスを背負うことになるのかについて、様々な理屈をこねて説明しようとする。しかし、ある選手がある特別な1週間あるいは1年間の成績によって賞を取り、注目を浴びたのなら、翌週あるいは翌年も同じように星が並ぶ可能性は低く、平均以外に向かうところはない、という。

ヒトがごく少数の先祖から生まれたのだとしたら、現在の人口が80億人だとしても、各人の基本的な遺伝子は共通で、個人の生誕から成長までの途中で偶然が何度も作用する結果、一部の遺伝子自体とその発現状態、生まれた後のそれぞれの環境が人によって若干異なっているだけということになる。そうなると、各人の身長であろうと、IQであろうと、それについての十分に多くのデータをプロットすれば釣鐘型の分布が現れることになり、「平均への回帰」が見られるようになる。ヒトという種全体を見れば、そのような傾向が常に現れ、そこには必ず釣鐘型の端っこも存在する。彼らは平均値から最も離れた、例外的な存在だ。アルベルト・アインシュタインであろうと大谷翔平であろうと、例外的存在はいつの時代も地上のどこかに現れ続けることになる。そういう端っこを特別に寿ぐ傾向は、平均値を絶えず現状から変えていなければ生き残れる可能性が低くなるという、人類の隠れた危機意識の表れであるのかもしれない。

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広がっている

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Waterfall, Maurits Cornelis Escher, The Art Institute of Chicago

水の流れが、左に向かっているのか、右に向かっているのか、分からないときは、目をこすってもう一度よく見れば、普通はすぐ問題は解決する。だが、「共有地の悲劇」を解決するには関係者の話し合いが必要になる。「共有地の悲劇」とは、次のようなジレンマのことだ。どの羊飼いも羊を増やして共有地に放牧すると得になるのでそれを望むが、全員がそう考えて羊を増やすと牧草の再生が追いつかなくなり、すべての羊が飢えてしまうというジレンマだ、とされる。

ハーバード大学教授スティーブン・ピンカー著「人はどこまで合理的か」(草思社)によれば、「共有地の悲劇」とは、次のようなジレンマのことだ。どの羊飼いも羊を増やして共有地に放牧すると得になるのでそれを望むが、全員がそう考えて羊を増やすと牧草の再生が追いつかなくなり、すべての羊が飢えてしまうというジレンマだ。交通量と汚染の問題も同じで、私一人が車で出かけたところで渋滞になることも空気が汚れることもないが、誰もがそう考えてバスではなく車で出かけると大渋滞になり、排気ガスが充満することになる。このゲームは自分勝手な人に「誘惑」を、寄付する人や資源を節約する人に「裏切られ損」を、そして全員が裏切る場合には全員に「罰」をもたらす。プレーヤーが2人の囚人のジレンマでは、拘束力のある誓いによって相互離反を免れることができるが、公共財ゲームでも同じで、効力のある法律や契約があれば、各人にとって最善である身勝手な振る舞いを罰することができる。全員が顔見知りであるようなコミュニティーにおいては、共有地は「しっぺ返し戦略」によって守られている。資源を不当に搾取すれば、ゴシップ、批判、遠回しの脅迫、ちょっとした破壊工作の標的になるからだ。しかし規模が大きくて匿名性の高いコミュニティーでは、利得を変えるには拘束力のある契約や規則が必要になる、という。

昔の農村であれば、全員が顔見知りで、共有地は最後は「しっぺ返し戦略」によって守られていた。しかし。現代の都市は匿名性の高いコミュニティーになっていて、誰が何をしているのかよく分からず、「しっぺ返し戦略」を実行することはほぼ不可能だ。だから、共有地を守るためには、市民への教育と拘束力のある法律が必要になる。現在の共有地は、放牧に適した土地だけに限られてはいない。むしろ、それは少数派だ。普通の人の気が付かない、ありとあらゆる時空に「共有地」が広がっている。そして、誘惑に負けて共有地を勝手に荒らしてしまった人々の事例はいくらでもある。必要な処理をすれば多額の費用が発生するので、そのまま河川に有害物質を流し続けた企業もあったし、将来の子供たちの大きな負担となる赤字国債を現在の費用支払いのために際限なく発行している国もあるし、健康被害を引き起こす可能性がありながら、まだ法律で禁止されてはいない大麻グミを製造販売しているように見える企業もある。

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一般的には

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Three Worlds, Maurits Cornelis Escher, The Art Institute of Chicago

水中、水面、空中の三つの世界には、それぞれの支配者はいなくても別々のルールがある、とも言えるだろう。ルールが実際に意味を持つようになることもある。たとえば離婚協議中のカップルが、どちらも相手に金を巻き上げられることを恐れてやりての弁護士を雇い、高額のタイムチャージで資産をすり減らすとしたら、「囚人のジレンマ」に陥っている。ところが、事前にプレーヤーに拘束力のある契約を結ばせることによって、協力すれば報酬が得られ、離反すれば罰を課せられるようにしておくと、別のゲームになる。すると利得表が変わり、相互協力が均衡であるような別のゲームになる、とされる。

ハーバード大学教授スティーブン・ピンカー著「人はどこまで合理的か」(草思社)によれば、「囚人のジレンマ」は次のような状況のことだ。検察官が2人組の犯人を別々の部屋に拘留しているが、犯行の証拠がないので、2人に取引をもちかける。仲間の有罪を証言すれば、本人は釈放され、仲間は禁固10年に処せられる。2人が互いに相手の有罪を証言すれば、2人とも禁固6年に処せられる。2人とも黙秘すれば2人とも有罪となるが、軽罪でしか起訴されないので、2人とも禁固6か月ですむ。それぞれの立場で考えるなら、仲間が自分に協力しているあいだに裏切れば最善の結果となり(誘惑)、仲間に先に裏切られれば最悪の結果となり(裏切られ損)、裏切ると同時に裏切られれば2番目に悪い結果となり(罰)、仲間を守ると同時に守られれば2番目に好ましい結果となる(報酬)。どちらにも1人で罪を背負うという選択肢がないとすれば、唯一の賢明な目標は相互協力による報酬(どちらも禁固6か月ですむ)を得ることだ。ところが2人は神ではないので、全体を見ることはできず、相手の選択も知りようがない。こうして2人とも相手を裏切ることになり、神の視点なら6か月ですむところが、人間の視点で考えると6年の刑になってしまう。裏切るという選択はナッシュ均衡だ。囚人のジレンマは特殊な状況ではなく、よくある悲劇だ。たとえば離婚協議中のカップルが、どちらも相手に金を巻き上げられることを恐れてやりての弁護士を雇い、高額のタイムチャージで資産をすり減らすとしたら、このジレンマに陥っている。敵対する国同士が軍拡競争を繰り広げるのも同じことで、そのままではどちらの国も貧しくなるばかりで、決して安全にはならない。囚人のジレンマに解決策はないが、ルールを変えて別のゲームにすることはできる。そのための方法の一つは、事前にプレーヤーに拘束力のある契約を結ばせる、あるいは何らかの権威が定めた規則に従わせることによって利得を変え、協力すれば報酬が得られ、離反すれば罰を課せられるようにしておくことだ。すると利得表が変わり、相互協力が均衡であるような別のゲームになる、という。

「囚人のジレンマ」への対策として、ヤクザやマフィアのような組織なら、メンバーに対して、事前にある種の拘束をかけておくことはできるのかもしれない。そうして、囚人同士が互いに協力し合うことになるのかもしれない。だが、離婚協議中の男女、敵対する国同士等は、すでに相手に対して、思いやりではなく憎しみの感情を抱いていることが多いのだから、合理的に両者にとって利得となるような解決策をこれから探して合意するという冷静さを保つことはもはや困難だ。だから、お互いに相手には協力しないということになってしまいやすい。それでは、事前に問題に対処できるかといえば、組織のメンバーへの上からの指示ではなく、平等な「個」と「個」の関係となるが故に、かえって対策は困難だ。離婚の場合の事前の決め事は、男女間では永遠のものであるはずの愛をはじめから信じていないようで、熱愛中のカップルでも興ざめになるだけだろう。そんなことを心配しなければならないようなら、結婚はやめておこうということになる。法的、倫理的、政治的に問題がありそうなことについて、事前に、協力すれば報酬が得られ、離反すれば罰を課せられるようにしておくというのは、国家間ではそんなことをあらかじめ合意しておこうとは誰も思わないだろう。いざとなれば、そんなものは破棄されるだけのことだ。こうして、「囚人のジレンマ」では、固い悪の組織の場合を除けば、一旦そういう状況に入ってしまうと、一般的には、最善の解決は困難ということになりそうだ。

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