「意識」はどちらにある?

Lake George
Lake George, John Frederick Kensett, The Metropolitan Museum of Art

穏やかな水面を岸の方からただ見ているだけでは、水面下で繁茂する水草も群れを成して泳ぎ回る魚の存在も分からない。植物状態(VS)の患者を対象にした研究では、安静時脳活動の変動性が高ければ高いほど、自己特定的な刺激に対する反応が高くなり、回復の可能性も高くなる、とされる。

オタワ大学教授ゲオルク・ノルトフ著「脳はいかに意識をつくるのか」(白揚社)によれば、内因性の脳活動が、意識の有無を決定するのに絶対的な役割を担っている。著者らはVS患者を対象に、自己特定的な刺激に対する反応の他に、安静時脳活動も調査した。そして、前回の研究と同様に機能的結合の低下を検出し、さらに新たな発見として安静時脳活動の変動性の低下を見出した。安静時脳活動と[回復後の]意識のレベルのあいだには直接的な相関関係を見出すことができなかった。だがその代わり、安静状態の変動性が自己特定的な活動の程度に相関し、意識のレベルを予示することを発見した。安静状態の変動性が高ければ高いほど、自己特定性、さらには意識のレベルもそれだけ高くなる、という。

安静時脳活動の変動性の高さ→自己特定的な刺激に対する反応の高さ→回復の可能性という主張だが、これらに論理的な因果関係はないように思われる。安静時脳活動の変動性の高さは、脳活動が活発になり得るという点において、植物状態の患者の脳内全般の損傷の程度が低いことを意味している。おそらくは、心の中がさまざまに変化している状態だ。自己特定的な刺激に対する反応の高さは、少なくとも正中線領域に損傷がないことを意味している。このどちらかがあれば、患者は、外部と直接的な連絡ができなくても、すでに意識をある程度覚醒させていると推測される。そういう患者が外部と連絡できるようになるかどうかは、まだ判明していない別のメカニズムが決めているのではなかろうかと思われる。もしも医療関係者の側がそのように察しられないとするならば、そちらの方にこそ「意識」があるのかどうか疑われてしかるべき、ということになるだろう。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

無数の状態の一つ

Central Park, Winter
Central Park, Winter, William James Glackens, The Metropolitan Museum of Art

冬のセントラルパークで誰かが足を滑らせて転んだとしても、そのことが全米に伝わることはまずない。伝わるとすれば、それは、各種メディアやSNS視聴者にとって価値のある何らかの事象が発生した時だけだ。前頭前野/頭頂葉のネットワークは、局所的に処理されている刺激を、脳全体に広域化できるか否かを「決める」門番として機能しているらしい。

オタワ大学教授ゲオルク・ノルトフ著「脳はいかに意識をつくるのか」(白揚社)によれば、バースやドゥアンヌの主張では、意識が可能になるには、局所的な処理を超えた何らかの事象が脳内で生じなければならない。何らかの事象とは、情報とその内容が、意識に結びつけられるよう脳全体にわたり広域的に分配されることを指す。前頭前野/頭頂葉のネットワークは、局所的に処理されている刺激を、脳全体に広域化できるか否かを「決める」門番として機能する。この意味での広域化は意識に至る。植物状態患者における前頭前野/頭頂葉ネットワークの活動の低下を報告する研究がある、という。

この研究も意識の必要条件を推定するものだ。それによると、意識が生成されるためには、神経活動が脳全体に広域的に広がらなければならず、広域化させるかどうかを決める門番は前頭前野/頭頂葉のネットワークだということだ。しかし、ここでも、まだ具体的メカニズムは不明だし、広域化がなぜ意識を生成させるのかはわからないままだ。意識とは何かは依然として朦朧としていてよくわからない。だが、例えば、一杯の温かいコーヒーを口に含んだ時の感じを思い返してみると、なぜ、それが他でもないそのような感覚であるのかを説明しようとしても、そこから意識の解明には至らないのではなかろうか?そうではなく、生命40億年の歴史を経て出来上がった、環境変化に対して合理的な反応を可能にする脳内メカニズムがあって、意識とはそれが稼働している状態のことだとしよう。それがとり得る無数の状態の一つが、あの、コーヒーを口に含んだ時の感じで表されるものだとして済ますべきなのかもしれない。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

統合情報理論が説明しないもの

Celia Thaxters Garden, Isles of Shoals, Maine
Celia Thaxter's Garden, Isles of Shoals, Maine, Childe Hassam, The Metropolitan Museum of Art

咲き乱れる花々を美しいと感じることは事実だとしても、そのような意識とは何かについて、脳科学者たちはまだ統一見解に辿り着いていない。一つの見解は、ある感覚皮質から視床、さらに視床から脳の各領域への情報の流れ、従って情報の統合の度合いが、意識の生成に重要な意味を持つというものだ。

オタワ大学教授ゲオルク・ノルトフ著「脳はいかに意識をつくるのか」(白揚社)によれば、一次視覚皮質(V1)は、視覚刺激が脳の皮質に入る際の入り口をなす。V1における最初の神経活動は、フィードフォワード結合を通して下側頭皮質(IT)などの、より高次な領域に伝えられる。これらの高次領域は、入力された刺激を他の視覚刺激に結びつけるなど、より複雑な処理を行なう。そこから刺激は皮質下の領域、視床に伝えられ、さらに視床はV1や他の皮質領域に情報を戻す。このルートは視床皮質再入連絡と呼ばれ、脳のさまざまな領域が関与する循環プロセスをなす。ジュリオ・トノーニによれば、意識の生成には脳内で情報が結びつけられ統合される度合いが重要な意味を持つ。彼は、植物状態、ノンレム睡眠、麻酔によって覚醒度を下げられた意識を調査した。これらの状態はすべて、原因は異なっていても、意識の低下、もしくは喪失によって特徴づけられる。意識喪失の原因が異なるにもかかわらず、脳全体にわたって、そしてとりわけ視床皮質再入連絡に機能的な結合の低下が見られた。かくして被験者は全員、情報統合の低下を示した、という。

自動車が動く物理的メカニズムの詳細を知らなくても運転はできるように、意識とは何かについてわからなくても意識は働いている。科学の世界で、意識とは何かについての最終的な回答はまだ出ていないとしても、必要条件の一つとして、視床皮質再入連絡の神経活動の相応のレベル、従って何らかの情報統合の相応のレベル、があるとは言えるようだ。しかし、これらが意識に関係するとしても、まだ具体的メカニズムは不明だし、もっと根本的に、これらがなぜ意識を生成するのかは解明されていないように見える。だが、おそらくは、意識は、環境の変化に対して合理的に反応できるような脳内システムが稼働している状態のことだといえるだろう。そのような状況では、視床皮質再入連絡も盛んに行われているはずだし、情報も統合されていることにもなるだろう。例えば、面白い映画を見ているとき、おいしい料理を食べているとき、気持ちよく運動をしているとき、ギリギリの判断を迫られているとき、脳内システムは自ずとそのような状態にあるはずだ。あるいは、私たちは、そのような状態を総合して、個々人がその時どのように感じているかは別にして、意識があると呼んでいるだけと言えるのかもしれない。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

声にならない心

Moonlight on Mount Lafayette, New Hampshire
Moonlight on Mount Lafayette, New Hampshire, William Trost Richards, The Metropolitan Museum of Art

たとえ月が見えなかったとしても、樹木の足元に伸びる影や小川の水面に移る光は今夜は月が出ているということを示している。物言わぬ植物状態の患者が自己に関連する刺激に対して示す脳内の活動内容によって、その患者のその後の回復の可能性が見通せるらしい。

オタワ大学教授ゲオルク・ノルトフ著「脳はいかに意識をつくるのか」(白揚社)によれば、著者らの研究グループは、数人の植物状態(VS)患者を対象に研究を行なった。脳の活動を喚起するために患者の名前や自伝的なできごとなどの自己特定的な刺激を用いた。例えば、ジョンにバイクに対する愛着について尋ねるなどといったように。驚くべきことに、VS患者は自己特定的な刺激と自己非特定的な刺激を識別することができ、そのことは、とりわけ脳の正中線に沿った領域(正中線領域)の神経活動によって示された。この実験では自己特定的な刺激に関連する活動の度合いが[回復後の?]意識のレベルを予測した。自己特定的な刺激に関連する活動は自己の感覚の形成に重要な役割を果たしていると考えられる。また、それは回復の可能性を予示する点において、臨床的に意味のある何らかのあり方で意識と結びついていると見なせる、という。

自己特定的な刺激と自己非特定的な刺激を区別するのは、脳の正中線領域だとされる。だとすれば、ふたつの刺激を健常者のように区別できるということは、脳の正中線領域が損傷されていないことを意味する。しかも、画面による指示に対して健常者と同様に反応できるということは、正中線領域以外にも損傷されていない領域があることを意味する。そのような植物状態患者の回復可能性が高いというのは、理解できるところだろう。17,18世紀の日本は、当時のイギリスやスペインから見れば、何が起こっているのか不明の国であったろうが、通常の社会生活が行われていたことは明らかだ。現代の引きこもりのヒトが何をしているのかは、外部の人間からは窺い知れないが、そこにも日常生活があることは間違いない。外部から直接見えないということは、活動や心がそこに存在しないということを、必ずしも意味しない。ほとんどの植物状態の患者は、声にならない心で叫んでいるのではなかろうか。

テーマ : 文明・文化&思想
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「意識」とは

Flight Into Egypt
Flight Into Egypt, Henry Ossawa Tanner, The Metropolitan Museum of Art

植物状態の患者は無反応で「意識」がないように見えるが、画面を通じた指示に対して、健常者と同じ脳領域が活性化するケースがある。暗闇のなかを逃走するのも不安だが、部分的に「意識」がありながら身体を全く動かせず外部とコミュニケーションもできない状態はもっと絶望的に苦しいことだろう。植物状態と脳死の違いはきわめて大きい。

オタワ大学教授ゲオルク・ノルトフ著「脳はいかに意識をつくるのか」(白揚社)によれば、無反応覚醒状態/植物状態(UWS/VS)にある患者は目を開くことはできるが、いかなる外部刺激にも反応しない。エイドリアン・オーウェンとスティーブン・ローリーズは、植物状態の患者をfMRI装置に寝かせ、テニスをしているところか、自宅の内部を歩き回っているところを想像するよう、画面を通じて指示を出した。健常者の場合、これらの課題を遂行するあいだ、テニスの実行に関与する脳領域の感覚運動皮質、もしくは屋内の巡回に関与する脳領域の頭頂皮質と海馬が活性化した。植物状態の患者は、無反応で意識がないように見えるにもかかわらず、健常者と同じ脳領域が活性化した。この神経系の活性化はほんとうに意識の存在を意味するのか?指示に従うには、ある程度の意識が必要とされるという理由で、そうだと考える者も多い。とはいえ、オーウェンらが脳画像に見出した神経活動のパターンは、患者が認識したか否かに関係なく、刺激それ自体によって引き起こされた可能性も考えられる、という。

植物状態の患者は、外から直接見える範囲内では、いかなる外部刺激にも反応しない。しかし、仮に全員ではないにしても、画面を通じた指示に対して、健常者と同じ脳領域が活性化した患者がいたということは、彼らは、指示の意味が分かり、その指示通りに脳内作業を行ったということであり、意識があるというべきであろうと思われる。目に見える範囲内での診断(無反応)は単にヒトに課せられた技術上の制限故であったのだから、fMRI装置による画像に基づく診断(意識的反応あり)に一歩進めるということに問題はないだろう。患者は、意識がありながら、身体は動かせず、外部への直接的連絡ができないという恐ろしい状態にあるということだろう。意識とは、環境の変化に対して合理的選択をする脳内システムが稼働している状態のことであるとするならば、植物状態の患者のなかには、意識のある人がいると言えるだろう。このことは、AIにしても意識を持つに至る可能性があることを意味する。ただし、AIには、自己保存の本能のようなものが自動的には組み込まれていないところが、生物の場合と異なるだろう。

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